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Japanese - Eternal Security

「聖徒の永遠堅持(ETERNAL SECURITY)」について 初代クリスチャンはどう考えていたのでしょう


初代クリスチャンは、「聖徒の永遠堅持」(英語では、eternal security、“once saved, always saved”)という教理を奉じてはいませんでした。以下、この点に関する初代クリスチャンの見解を、彼らの著作を直接引用しつつ、ご紹介します。

従って、兄弟たちよ。私たちは、自らの救いについて注意深く訊ね求めるべきである。さもなくば、邪悪な者があざむきによって入り込み、私たちのいのちを奪い去ってしまうかもしれない。バルナバ(AD70-130年)

主に従わない者は、主から相続権を奪われ、もはや神の子ではなくなってしまう。   エイレナイオス(AD180年)

一日やそこらの、信仰、愛、希望、忍耐といったものではなく、「最後まで耐え忍ぶ者が救われる」のである。 アレクサンドリアのクレメンス(AD195年)

過去に犯した罪については、神は赦してくださる。しかし、未来の罪に関しては、それぞれが赦しを得るのである。つまり、各人は、――悔い改め、自らの過去の行いを責め、御父にそれらを消し去ってくださるよう懇願することによって――、赦されるのである。というのも、御父だけが、なしてしまった罪を帳消しにすることができるお方だからである。だから、ある人が、その生涯の中で、どれほどのすばらしい善行を行なってきたとしても、その終わりにおいて、真っ逆さまに悪に堕落してしまうなら、その人のこれまでの労苦は全て、益のないものになってしまう。というのも、人生のここぞという所で、彼はその本分を全うしなかったからである。アレクサンドリアのクレメンス(AD195年)

以下は、信者の堅持に関する初代クリスチャンの理解のよりどころとなっている聖書箇所です。

「あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。」Ⅱ歴代誌15:2

「正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことはできない。」 エゼキエル33:12

「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」 マタイ10:22

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」 ルカ9:62

「もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼を否んだなら、彼もまた私たちを否まれる。」 Ⅱテモテ2:12

 「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。」 ヘブル10:26

「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」 Ⅱペテロ2:20,21

「 『聖徒の永遠堅持』について初代クリスチャンはどう考えていたか」に関しての、より詳しい解説を希望される方へ。

デイヴィッド・ベルソー著 『初代キリスト教徒は語る――初代教会に照らして見た今日の福音主義教会』(David Bercot, Will The Real Heretics Please Stand Up, A New Look at Today’s Evangelical Church in the Light of Early Christianity)をおすすめします。

また英語による書籍およびオーディオ講義としては、

同著者による講義CD “What the early Christian believed about Eternal Security”または、Dictionary of Early Christian Beliefs (→初代キリスト教徒の信仰内容についてトピック別に扱った画期的な事典です。『永遠の堅持』に関しては、本事典の中の Eternal security, Salvation, Free willの欄をご参照ください。)をおすすめします。