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Japanese - Lollards

ロラード派


ウィクリフの影響は彼の弟子たち――カトリック側からはロラード派と呼ばれていました――を通じて、英国で長らえました。ウィクリフは常に、教会の権威にまさる聖書の権威を論じていました。ロラード派の成し遂げた偉業の一つは、最初の英語聖書の翻訳でした。今日、一般に、この最初の英語聖書の功績はウィクリフ自身に帰されていますが、実際の翻訳作業は、彼の弟子や友人によって行なわれました。

初めのうち、ロラード派には数多くの裕福層や権力者たちもいました。依然として、《コンスタンティヌス交配種(Constantinian Hybrid)*この用語の概念は、デイヴィッド・ベルソー著『世界中をひっくり返した神の国』の中で詳しく取り上げられています》にひどく影響を受けていた彼らは、1394年、英国議会に対し、教会を改革するよう求めるパンフレットを提出しました。とはいっても、彼らの提唱した改革は、アウグスティヌス主義の教えと、御国の教えとの興味深い混合物でした。

彼らは、祭司独身制、聖水、死者のための祈り、ローマへの巡礼、十字架像や聖画に向かっての祈りや供物、祭司の前での罪の告解を非難しました。英国では、教皇ないし教皇の監督が、全ての聖職叙任を執り行うという慣習があったのですが、彼らはそれを廃止するよう要求しました。

彼らはまた、聖職者が、政府の公職と(霊的な)祭司職とを同時に牛耳る習慣に対しても、非難の声を挙げ、このように言いました。

「――同一人物が、国王でもあり教会監督でもあること、地上の事柄に高位聖職者と裁判官が関わること、補助司祭と役人が世俗官庁にいること――これではどんな国でも善政は行なわれない。この結論は明らかに立証される。なぜなら、世俗のものと霊的なものは、全教会を構成するそれぞれ半分だからである。それ故、一方の(世俗的ないし霊的いずれかの)任務に打ち込んでいる者は、もう片方のそれに干渉すべきではない。なぜなら、誰も二人の主人に仕えることはできないからである。」

だからウィクリフと同様、ロラード派も御国の福音について完全に理解していたわけではなかったのです。世俗職と宗教職が分離されることを望んではいましたが、依然として彼らの中では、世俗権力および教権が共に、「全体としての聖なる教会」を構成するのだと考えていたのです。つまり神の国は依然として国家と婚姻関係を結んでいたのです。

それにもかかわらず、ウィクリフの死後、ロラード派はアウグスティヌス神学からさらに遠ざかり、御国の福音により近づきました。例えば、御国に関する不完全な理解にもかかわらず、ロラード派は、「戦争がキリスト教と相入れないもの」であることを理解しました。

「霊的啓示を伴わない、戦争における殺戮、ないしは、地上の大義名分のためと称する偽りの大義法は、新約聖書――まことに恵みとあふれる憐れみの法――に真っ向から反する。この地上におけるキリストの教えの例からも、この結論ははっきりと立証される。というのも、キリストは、自らの敵を愛するよう、敵を殺すのではなく、憐れみを示すよう、特に教えられたのである。理由はこうである。(一般的に言って)人は戦い始めると、最初の一撃の後、愛など忘れ去ってしまうからである。そして愛なしに死ぬ者は、地獄へのまっすぐな道を下って行くのである。

「そしてその他、いかなる聖職者も、御言葉により、また正当な理由により、ある大罪に対して下された死刑執行を免除したり、他の大罪に対しては容赦しなかったりすることはできないことは周知の通りである。しかし、新約聖書は憐れみの律法である。そしてそれはあらゆる種類の殺人を禁じている。福音書もこう言っている。「昔の人々に『殺してはならない』と言われていた。」…[十字軍は]平和の王からあしざまに言われて当然である。なぜなら、へりくだりと忍耐によって、信仰は増し加えられるからである。キリスト・イエスは、戦い殺戮する者たちを憎み、彼らに強く迫っておられる。というのも、イエスは『剣をとる者はみな、剣で滅びる。』と言われているからだ。」

予想通り、国会はこういったロラード派の条項を制定しませんでした。実際、その後、数十年のうちに、国王とカトリック教会は合致して、ロラード派の完全撲滅に乗り出したのです。カトリック権力は、情け容赦なく、ロラード派を狩り出し、彼らの多くは火あぶりにされました。一方、拷問や死に直面し、自説を撤回する人たちもいました。生存者は地下へと追いやられました。ロラード派は秘密裏にではありましたが、集会を続けていきました。彼らの純朴な集会では、聖書の学びと、みことばを宣べ伝えることが強調されました。

ロラード運動は、国王や貴族の支持を失って後、中世の御国運動にそなわる多くの特徴を帯びるようになっていきました。今や、ロラード派は、もっぱら商人、農民、都市の貧困層で占められていました。カトリック教会は決して彼らを撲滅することができず、それ故、宗教改革が英国に達した際もまだ、ロラード派は存在していたのです。

© From The Kingdom that Turned the World Upside Down 『世界中をひっくり返した神の国』(邦訳名)より抜粋