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Japanese - Old Believers

《旧信者》


ニコンはモスクワの総主教になるとすぐに改革を始めましたが、それは「敬虔の守護者たち」が当初期待していたものとはかなり異なっていました。

ニコンは、今イタリア(ローマ・カトリック教会の出版社)で印刷されたばかりのギリシア語のテキストを入手し、改革の手引きとしました。[ちなみに、当時、イスラム教徒の支配下にあり、特権や教権を奪われていたギリシア正教会は、ローマ教皇との連結を模索し始めていました。東方の信者にとって、ローマ教皇といえば、前世紀までは異端の象徴に他ならなかったのです。] それから、遠くまで及ぶロシア法の影響力を盾に、ニコン総主教は、これらの改革を受け入れるよう皆を強制し始めました。

ニコンの改革のいくつかは今日の私たちにとってはもはや重要には思えないもの――例えば、二回ではなく、三回ハレルヤを歌うとか、イエスの御名を余分な母音を付けてつづるとかいったもの――でした。しかし、多くのロシア人がこういった改革に反対したのは、まがう事のない事実であり、それらに対する抵抗はみるみるうちに拡大していきました。

ニコンに反対し、従来のやり方を保持しようとした人々は、ニコンの改革を、「ローマ・カトリック主義(つまり《この世に》)に同調するものだと受け取っていました。また彼らは、こういった改革の押しつけが、政治的事柄を通して国教会が自ら堕落していく、幾多の例の一つに他ならないとみていました。

ロシア中で、何百万という貧しく、無学な農民たちや、遠隔地にある霊的共同体の独身献身者たち、そして重職に就いていない下級の地方教会指導者たちが、勇敢にも立ち上がり、「私たちが何を信じ、どのように信じているかという事は、あくまで個々人に属する事柄であり、信仰とは、(個々人の)確信から生まれるものであって、法律によって制定されるものではない」と宣言しました。彼らは、生命の危険を冒してまでも、モスクワや、コンスタンチノープル、政府当局、そして彼らを抑圧してくるものであれば何でも、これに挑んでいきました。

 確信の代価

ニコン総主教が改革の法案を発表したその会合の席で、コロムナのパヴェル長老は、「自分はこの法案に応じることはできない」と静かに答えました。これを聞いた、ニコンは、パヴェル長老の教職をはく奪し、公会議の席で彼に暴行を加えさせました。そしてパヴェルを北方の遠隔地に追放し、その結果、パヴェルは幾多の拷問の末、命を落としました。それから、ニコンは、自分の改革案に従わない全ての者に対し、アナテマ(破門)を宣言しました。獣の年といわれた1666年までに、数十万という《旧信者》がオーソドックス教会から追放されました、非常な苦しみと弱さの中で、彼らは、「この世に染まらないことによってのみ、人はキリストと共に歩むことができ、迫害を生き抜くことができる」ということを体得していきました。

泥で塗り固められてできているロシア農民の家々は、わらぶき屋根の下にほとんど隠れるような形で建っていました。その中心には、たまねぎ型屋根で木造りのおんぼろな教会があり、それはあたかもめんどりの周りにひよこが身を寄せ合っているような様相でした。こういった地は、モスクワやキエフから遠く隔たっていましたが、逆に、天国へはより近い距離にありました。乾燥梨の房のぶらさがっている薄暗がりの中から、彼らはキリストの御名を呼びました。そしてそうしていく中で、彼らにとって、「キリストが望んでおられること」――この事がますます大切なことになっていくと共に、ロシアの教会や国家の要求することは二次的なものになっていきました。

昔から、ロシアの農民たちは、モスクワで起こっていることに対して不信感を抱きつつ生活していました。「モスクワがお前を捕えるまで、とにかく生きよ、生きよ!」というのが親や祖父母たちの言い回しでした。ですから、多くの人々がモスクワ国教会から離れましたが、彼らに後悔の念はありませんでした。ラスコルニキ(分離主義者)もしくは「非協調主義者」と呼ばれていた彼らはすぐさま、クリスチャンはかく生きるべきという、彼らの信条に従って生き始めました。もっとも、そのあり方は、どの地域でも同じというわけではありませんでした。

しかしどの地においても、彼らはロシア当局の怒りを買いました。「獣の年」といわれた1660年代中頃までに、ツァー(皇帝)の手先は、《旧信者》たちを、拷問にかけ、公然とむち打ちました。その範囲は、キエフ、スモレンスクからリャザン、カザン、ヤロスラヴリ、サラトフ、ノヴゴロド、プスコフ、トヴェーリに及びました。どこにおいても、当局は家々や村を根こそぎ倒し、一家もろともシベリアへ送還しました。しかしそのような迫害によって、彼らの多くが抱いていた確信――つまり、国教会は反キリストの手先機関となったということ――はますます深まっていくばかりでした。

  アヴァクム

全員というわけではありませんでしたが、《旧信者》の多くは、無学な田舎の民衆でした。その中にあって目立って例外的な存在だったのが、アヴァクム・ペトロヴィッチでした。彼は正教会の聖職者であり、ニコン総主教の仲間かつ同僚でもありました。アヴァクムはニズニイ・ノブゴロド(ニコンの故郷)の近くにあるグリゴロヴォという村で育ち、ニコンと共に、「敬虔の守護者」のメンバーになりました。しかしこの世の権力や地位を求めたニコンと違い、アヴァクムはどんな代償を払おうとも、キリストを喜ばせることを心掛けていました。

21歳の時に彼は聖歌隊長として初めて任命を受けましたが、その前に、アヴァクムは貧しい孤児であったナスターシャ・マルコヴナを妻として選びました。彼女はアヴァクムの、忠実にして忍耐深い伴侶となり、彼のこの世と妥協しない生き方がいかに困難を招いても、彼女は夫を支え続けました。

初期には次のような衝突が起こりました。高官貴族であるヴァシリー・シェレメテヴがヴォルガにやってきた時のことです。アヴァクムも含めて、グリゴロヴォの人々は彼を迎えるべく船に乗り込みました。アヴァクムが敬虔な人間であることをみてとったヴァシリ-高官は、息子のマトヴェイを祝福するようアヴァクムに命じました。しかしアヴァクムはそれに従うことができませんでした。「神が彼をお造りになった自然の姿(つまり髭をそらない状態)をあえて曲げ、髭をそってしまったような人に祝福を祈ることなどどうしてできましょうか」と彼は問いかけました。

ヴァシリ―・シェレメテヴは茫然自失となりました。「貴様、この私に従わぬというのか!」 彼は叫びました。「それなら、お前を川に投げ込んでやる。」

幸いなことに、高官のこの命令を遵守する者は誰もいませんでした。しかし、数年のうちに、アヴァクムは投獄され、ニコンの改革に反対したかどでシベリアにあるトボルスクに家族と共に追放されました。しかしそこにおいてもアヴァクムは人々に感化を及ぼしました。そのことを知ったロシア当局は彼をさらにできる限り遠隔地へ追放しようと、モンゴルとの国境地帯にあるダウリアに彼を送還しました。

その地の行政官であったアファナスィー・パシュコヴは、ありとあらゆる手段を用いて、アヴァクムと家族を苦しめました。彼はアヴァクムを拷問にかけ、しばしば獄中で彼を鎖につなぎ、ひどい暴行を加えました。アヴァクムの子どもたちのうち二人は、餓死しました。しかし、彼は狭い道を歩むというこの戦いをやめませんでした。どこにおいても、彼は誠実な信者たちに対し、「ニコンの堕落した教会といっさい関わりを持たないよう」、忠告しました。

アヴァクムは言いました。「祭司が聖水をまきに、あなたの家に来たのなら、祭司の後ろについてまわり、ほうきで掃きなさい。そしてもし彼らがあなたを無理やり教会に引っ張っていくのなら、心の中でイエスに祈りを捧げ続けなさい。」

「私はみことばを宣べ伝え続ける」

アヴァクムを正教会と和解させ、それによってこのてごわい対抗者との問題に片を付けようと、ニコンは1663年に彼をモスクワに呼び戻しました。首都へ戻る道すがら、アヴァクムは、国教会の改革がものすごい勢いで執行されていることに気づかざるをえませんでした。彼は日記にこう記しています。

私は悲しみのうちにあった。そしてこう思った。「私はこのまま福音を宣べ伝え続けるべきなのだろうか。それとも、自分の愛してやまない妻と子どもたちのため、どこかに避難すべきなのだろうか。」 そう思っていたところへ、妻がやって来て、私に優しく訊ねた。「どうなさったの?どうしてそんなに悲しい顔をしていらっしゃるの?」 そこで私は自分の考えていたことを妻に話し、今度は自分の方から妻に質問した。「僕はどうすべきなんだろう。(真理を)語り続けるべきか、それとも沈黙を保つべきなのか?」 妻は答えた。「そんな事で悩まないでくださいな!私も子どもたちもあなたを祝福しますし、これからも応援し続けます。神の御言葉を宣べ伝え続けてください。そして私たちのことでご自分をお責めにならないでくださいな。

神様が望まれる時まで、私たちは一緒にいましょう。でも、もし離れ離れにされてしまうなら、その時は、私と子どもたちのことを、ただ祈りのうちに覚えていてください。キリスト様は力強いお方ですから、必ずや私たちを守り、必要を満たしてくださいます。」 私は妻に感謝した。盲目な状態から目が開かれたような思いがした。そして私は、ニコンの異端を糾弾しつつ、あちこちの町において福音を宣べ伝え続けた。[Zhitiye Protopopa Avvakuma (『アヴァクム主席司祭の自叙伝』より).]

以上 ピーター・フーバー著 『ロシア人の秘密(The Russians’ Secret)』より一部抜粋