ピルグラム・マールペック著『まことのキリスト教の勝利、平和、そして力』(1532年)をPDF形式でダウンロードすることができます。
本冊子は、当時起こった、ある特定の出来事に対する応答として書かれたものでありながらも、マールペックの鋭い視点には、ある種、時代を超越するものがあります。
「クリスチャンも自衛のため、またキリストゆえ、武器をとることができる。」という、不誠実な教会(バビロンの淫婦)のまことしやかな議論にだまされることのないよう、私たちもまた、彼の警告に耳を傾けるべきだと考えます。
私たちがキリストに忠実であり続け、主イエスの歩まれたように、苦しみの十字架を背負うよう、マールペックは私たちを鼓舞しているのです。
さらに、16世紀に、武器をとらないクリスチャンに対して投げかけられた反論は、今日においても同様のものです。
ですから、こうした反論に対する彼の応答は、当時においてと同様、今日でも新鮮かつ妥当なものなのです。
昔と同じように今も、まことのキリスト教の勝利は、私たちが――私たちの勝利の王でもあられる――苦しみの小羊に従いつづけるか否かにかかっているのです。
ピルグラム・マールペック(Pilgram Marpeck, ?-1556)は、16世紀の南ドイツにおける重要なアナバプテスト指導者です。
歴史家のウィリアム・エステップ氏も、マールペックのことを高く評価しており、「南ドイツのマールペックは、オランダ・アナバプティズムの指導者メンノ・シモンズに匹敵する存在だ」としています。
マールペックはつい最近までほとんど忘れ去られた無名の存在でした。
しかし数十年前に、ヨーロッパの図書館で、彼の書物が発見されたことから、彼はにわかに脚光を浴びるようになりました。
400年という長い沈黙の時を破って、このユニークなキリスト教思想家は再び現代人に語り始めたのです!!
すぐれた鉱山・土木技師でもあった彼は、1528年頃、幼児洗礼の非を悟り、アナバプテスト運動に加わります。そしてそれによって政府の職をはく奪されました。
私にとってマールペックの魅力の一つは、彼の視野の広さ、また主義主張の異なる他者の立場を理解しようと努めるその柔和な心の姿勢です。
彼はストラスブルグの有名な宗教改革者ブツァー(Martin Bucer)とも平和の内に対話を続け、またアナバプテスト内でも、さまざまな霊的潮流に直面しつつ、それぞれの指導者たちと意見を交換し、かつ議論しました。
ブツァーとは、政教分離および、旧約と新約の関係についての理解で意見を異にしておりさかんに議論しました。マールペックははっきりと政教分離の必要を説き、政府が教会のことに干渉すべきではないことを主張しました。
また当時、ルターとツヴィングリの、聖餐をめぐる細かい議論にうんざりしてしまった人々が、「クリスチャンは、そういう外面的なことより、霊的なこと、内面的なことを大切にすべきだ。」と主張するようになっていました。
しかしその傾向がやがて極端化し、ある人々は「自分さえ霊的に恵まれればいい。」という霊的個人主義に陥り始めたのです。
またこの教えは、「(幼児洗礼ではなく)信仰によるバプテスマこそ正しい洗礼のあり方だ。でも、バプテスマを受けると処刑される。ああ、どうしよう。」という当時の切迫した状況に、ある種の逃げ口を用意することにもなりました。
というのも、この教えから、「儀式としての外面的なバプテスマは重要ではない、唯一大切なのは内面的な意味において心にバプテスマを受けることなのだ。だから、水によるバプテスマは受けなくてもいい。」という結論が導き出されたからです。
こういった極端な傾向に関して、マールペックは警告を鳴らしました。そして内と外、そのどちらも欠かせないものであること、どちらかに偏るのではなく、両者のバランスを取るべきことを説きました。
そして霊的個人主義に陥った人々がないがしろにしがちであった貧民救済という点においても、彼は自らそれに積極的に従事しました。
また、これとは反対に、律法主義に傾きかけていたアナバプテストのグループも当時存在していました。こういう人々に対しては、御霊による自由および、愛がすべての中心であることを忘れてはならないと警告しました。
さらに財産共有を実践していたグループに対しては、「各人の自発性なしに人々を強制してはいけない。各信者の選択の自由が尊重されるべきだ。」ということを主張しました。
また当時アスザス、モラビア地方に起こっていたリベルタリアン主義(→恵みを放縦に変える教え、〈超恵み〉Hyper-graceの教えの16世紀バージョンです!)の説教者たちに対してもマールペックは警告しました。
今回、私が翻訳した作品は、マールペックが当時の混沌とした政治状況の中で、クリスチャンは国家とどのように関わるべきか、クリスチャンは武器を取って戦ってもいいのか、、といった問題を正面から取り扱った小冊子です。
この小冊子が書かれた当時の歴史的背景については、はしがきの所で、編者がとても分かりやすく書いていらっしゃるので、ここでは省略します。
編者も述べているように、本書は、当時起こった、ある特定の出来事に対する応答として書かれたものでありながらも、ある種、時代を超越するものがあります。
私は次のような問いを持ったクリスチャンの方々にぜひ本作品を読んでいただきたいと思います。
―クリスチャンは政治に関わるべきなのか、否か。
―クリスチャンは、国家権力と直に結び付いている職業(軍人、警察官など)に従事しつつ、同時に山上の垂訓(マタイ5-7章)の倫理に従って生きることがはたして可能なのか。
―クリスチャンは、「正義」のために武器を取ってもいいのか。そのために人の血が流されることと、「敵を愛しなさい」というイエス様の御言葉に矛盾はないのか。
―クリスチャンは、(デモ行進なども含めて)反政府運動に従事することが許されているのだろうか。その行為と、ローマ13章との間に矛盾はないのだろうか。
これらは、16世紀のクリスチャンたちが考え、悩み、議論し、祈り求めた問いでした。そしてマールペックが生涯を通して追求した問題でもありました。
さあ、これからご一緒に、マールペックの声に耳を傾けていきましょう。