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Japanese - Septuagint

七十人訳聖書


七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)はヘブライ語より訳された初のギリシア語訳旧約聖書です。この翻訳はイエス・キリスト誕生の二百年以上前に始められたとされています。またこれはマソラ本文よりも古いヘブライ語本文(テキストタイプ)から訳されています。

ちなみに今日大半の旧約聖書はこのマソラ本文から訳されていますが、これは悲しむべきことと言えないでしょうか。というのも、使徒たち自身は、――七十人訳聖書、および当時存在していた原始マソラ本文の両方の使用が可能でしたが――原始マソラ本文ではなく、あえて七十人訳から引用していたからです。

おそらくお気づきの方もいらっしゃると思いますが、新約の中で引用されている旧約の箇所の多くは、旧約そのものの箇所と多少食い違っています。しかし、七十人訳の旧約聖書を用いるなら、そのような食い違いは起こらないのです。

例えば、ヘブライ人への手紙の中で引用されている詩篇の箇所を取り上げてみましょう。

「ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。『あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。』」(ヘブル10:5新改訳)

パウロはこの箇所を、詩篇40:6から引用しています。それでは実際に詩篇40:6の箇所を開いてみて読んでみましょう。そこにはこう書いてあります。

「あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。」

さて、両者の間に食い違いがあるのにお気づきになったでしょうか。

私たちの使っている旧約聖書の中の詩篇は「わたしのために、からだを造ってくださいました」とは言っていません。それでは、これは聖書の中に存在しない箇所なのでしょうか。もしそうだとすると、なぜ、ヘブル書の記者はこれを聖書からの引用句としたのでしょうか。一方、もしこれが聖書の中に存在している箇所だとしたら、どうでしょう。――私たちは、使徒たちが使っていたものとは違う旧約本文を使っていることに関して、どのような申し開きができるのでしょうか。

そして例はこれだけにとどまらないのです。七十人訳とマソラ本文との間のこのような相違はかなり多いのです。実際、キリスト教の主要教理の一つは以下に述べるように、これらの相違如何にかかっているのです。

イザヤ7:14からのマタイの引用句は皆さんご存知のことと思います。

「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』」(マタイ1:22,23)

最近まで気付かなかったのですが、ヘブライ語のマソラ本文では、「処女がみごもっている」とはなっておらず、「若い女がみごもっている」となっているのです。どうりで、使徒や彼らの弟子たちはマソラ本文ではなく、七十人訳を選んだわけです。

標準改訂訳聖書(RSV)以外の聖書ではすべて、「若い女」ではなく、「処女」となっています。それというのも、《処女受胎》というキリスト教の根幹的教理に一致させようと、この箇所では、聖書翻訳者たちが、あえてマソラ本文使用を避けたからなのです。

――七十人訳聖書を無視し、「誤りだらけの訳」としておきながらも、ひとたびその「誤り」の一つが、キリスト教主要教理を裏付けるものとなるや、そこから借用する――こういう態度ははたして誠実だといえるでしょうか。そこに真実を追求する姿勢を見出すことができるでしょうか。

七十人訳は、はたして間違いだらけなのでしょうか


中世そしてそれ以後の何世紀という間、西洋のクリスチャンは、「七十人訳聖書というのは、単に旧約ヘブライ語本文のお粗末な訳にすぎない」と誤信してきました。今日でもそのように考えているクリスチャンは多いようです。

しかし、1800年代に入り、学者たちは、――七十人訳とマソラ本文の間にみられる相違は、もしかすると、七十人訳の訳者たちが、後代のマソラ本文とは異なる、より古いヘブライ語本文を使用としていたことに因るのではないか――と主張しはじめたのです。

そして1947年――学者たちがこういった事を推測していたさなかのことでしたが――、アラブ人の羊飼いが偶然にもパレスチナのクムラン共同体の近くで、古代のユダヤ文書を発見したのです。

後に同じ近辺で発見された数多いその他の文書と共に、これらの文書は、死海文書、もしくはクムラン文書として知られるようになりました。これらの文書のうちに発見された旧約聖書本文は、それ以前に知られていた旧約写本のどれより、何世紀も古いものでした。

最初に研究の対象となった文書の中に、イザヤ書の写本二つが含まれていました。初期に発表された報告によれば、これらの写本は、今日のマソラ本文とほぼ完全に一致している、とされました。それで一部の福音主義クリスチャンは、喜び勇み、早速、こういった報告を一般にひろめはじめたのです。

しかし、後になって、――死海写本の中に、その他の旧約文書が発見され、さらにイザヤ文書に関する、より慎重な省察がなされた結果――、初期の報告は早計であったことが明らかになりました。

つまり、それはマソラ本文がもともとのヘブライ語本文であるということを証明するには至らなかったのです。むしろ、何千というクムラン本文の実例を通して明らかになったのは、――紀元前、何世紀にも渡る期間使われていた旧約のテキストタイプの間には、はっきりした相違点がある――ということでした。そしてマソラ本文はそういったテキストタイプの一つを反映していたにすぎなかったのです。しかし残念なことに、福音主義のクリスチャンは、最初の早まった報告を撤回するにあたり、あまり迅速ではありませんでした。

さらに重要なことに、これらの写本によって、七十人訳と逐語的にほぼ一致する、初期ヘブライ語写本が存在していたことが確証されたのです。つまり、七十人訳は、マソラ本文のずさんな訳ではなかったわけです。それどころか、それは明らかに、もう一つのテキストタイプ――マソラ本文の原型(prototype)よりかなり古いテキスト――の妥当かつ誠実な訳だったのです。しかし、こういったテキストタイプ間の相違は一般に、重要な霊的真理に影響を及ぼしているわけではない、ということは強調しておきたいと思います。これらの相違が及ぼす主な影響は、あくまで、さまざまな旧約の箇所における語法のうちにみられるのです。

七十人訳の価値


今日、ますます多くの聖書学者が――七十人訳の非常な価値および、その、新約との比類なき関係――を認めつつあります。たとえば、聖書学のジョージ・ハワード教授はこのように指摘しています。

もし、仮に、新約記者が世俗のギリシア人から影響を受けていたのだとするなら、これらの記者たちは、それ以上にLXX(七十人訳聖書)から影響を受けていたといわねばならない。B.アトキンソンによれば、『七十人訳を離れては、新約は現代の読者にとってほとんど理解不能なものになってしまうだろう』、、、いずれにしても、過去数十年の間に、七十人訳の語彙が新約思想にもたらした影響に対する評価がますますなされてきており、この分野における七十人訳研究は現在も進行中である。 それ故に、――新約の辞書編集において、ギリシア語とヘブライ語のうち、どちらがより重要なのかという議論――は、おそらく七十人訳の観点からその解決をみるであろう。

また、リージェント・カレッジのソダ―ラント(Sven Soderlund)教授はこう記しています。

七十人訳は、新約記者の大半が使用していた聖書であった。こういった新約記者が聖書の明確な引用箇所のほとんどを、七十人訳から汲み取っていたのはもちろんのこと、彼らの書いた文書――とりわけ福音書、中でも特にルカによる福音書は、数多くの点で七十人訳の語法を想起させる。新約の神学的用語――例えば、《律法》、《義》、《憐れみ》、《真理》、《贖い》―は、七十人訳から直接引き継がれたものであり、この訳の中で用いられている使用法に照らしてこういった用語は理解されるべきである。

その他、旧約学者も同様の見解を示しています。