Banner-06-June.jpg

Japanese - William Law

ウィリアム・ロー (1686-1761)


ウィリアム・ローは、英国キングス・クリッフの小さな村で生まれました。彼は、英国国教会(アングリカン・チャーチ)の聖職に就くべく、ケンブリッジ大学で教育を受けました。しかし、ジョージ1世に対する忠誠の誓いを拒んだため、英国国教会で聖職に就くことが禁じられました。

Honduras microloan その後、生計を営むため、ウィリアム・ローはエドワード・ギボン(『ローマ帝国衰亡史』の著者)の子どもたちの家庭教師として10年間働きました。

ローが、かの名著、『敬虔、神聖な生活への厳粛な招き』(A Serious Call to a Devout and Holy Life)を著したのは、ギボン家に滞在中のことでした。英語で書かれた信仰書の古典としては、バニヤンの『天路歴程』に次ぐ傑作だといわれています。

この本の中でローは、霊的に冷淡で理知的な当時のクリスチャンに向け、――日常生活のすべての面において、神との生きた、実際的な歩みをするよう――鼓舞しています。また、この著書は、ジョージ・ホワイトフィールドやジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレ―に甚大な影響を与えました。実際、「私はウィリアム・ローから、キリスト教の真髄を学んだ」と後にチャールズ・ウェスレ―は回想しています。

Honduras microloan ローは、イエスの教えを、きわめて真剣に、そして文字通りに受け取りました。そして自らのうちに、世との妥協を一切許しませんでした。彼にとって、キリストの弟子であることは、生活の全ての領域において、主の教えを実践することに他なりませんでした。キリストは二心の忠誠心をお受けにはならないのです。ギボン家の子どもたちが成人すると、ウィリアム・ローはキングス・クリッフの故郷に戻り、父の遺した家に住み始めました。

キングス・クリッフで、ローは、ヘスター・ギボンおよび未亡人ハッチンソン夫人という、二人の年老いた女性の霊的助言者として彼女らを助けました。

Honduras microloan こうしてウィリアム・ローと二人の女性は、ローが『敬虔、神聖な生活への厳粛な招き』の中で書いていたことを、文字通りそのまま実践する生活を送りました。彼らは質素に暮らし、貧しい人々に惜しみなく施しをしました。また貧しい子どもたちのための学校を幾つか設立し、また日々、多くの時間を祈りに充てました。

後になって、ローはドイツ・プロテスタントの神秘主義者ヤコブ・ベーメの影響をかなり受けるようになります。そのため、ローの後半期の作品は――新生を通してのみもたらされる――内なる、霊的生活に力点が置かれています。

Honduras microloan ローの生涯における最後の年、彼は、『聖職者各位にささげる、謙遜にして、真摯な、愛を込めたメッセージ』(An Humble, Earnest, and Affectionate Address to the Clergy)という著を執筆しました。これは、今日『御霊の力』(The Power of the Spirit)というタイトルで出版されていますが、この本は、ローの著作の中でも『厳粛な招き』に次いで最も有名な書だといえましょう。ローはこの本の執筆が終わった直後、病に倒れ、75歳にして天に召されました。